経営指導の心得を活用してくれるのは実に嬉しいことだ、しかし、活用の仕方を間違えると危険だということも申し述べておかなければならない。

まず、この心得を伝える際、自らが最低七割五分は自分のものとすることだ。
十割とはいわない。

なぜ七割五分なのか

なぜなら、人にうまく教え伝えることで十割となるからだ。
ものごとは、人に教えることによって、その学びの終わりとなる。

だから、完璧に自分のものになるまで教えないとなると、その考えには無理が生じてくる。七割五分でいいので、自分のものになったら、それを伝えるのがよい。

では、どうすれば七割五分となるかだ。それを最初から自分で判断するのは難しいだろう。

だいたい人間というのはこのような傾向になる。
三割ぐらいの理解で、分かったと思い込むもの。
八割理解しているのに、まだまだダメだと思い込んでいるもの。
どちらも客観性に欠けておる。

なぜこのようになるのかというと、人はそれぞれ欲目や偏見を持って自分を見ているからだ。
自分を大きく見積りすぎるものがいれば、小さく見積りすぎるものもいる。
どちらも危険をはらんでいる。

そこで、提案だが、どの程度理解し体得しているのか、最初はこちらで判断するというのはどうだろうか。そうすれば、まず、己の欲目というものが是正されてくる。
まずは、思い込みをなくし客観性を身に着ける訓練だと思ってくれればいい。

具体的には、「経営指導の心得」の各項目を読んだ時を起点として、どのような変化が起きたのかを教えてくれればよい。

読む前の自分は、こういう考えだった。
しかし、読んだことによって、こういう考え方になった。
そこで、自分は行動をこのように変えてみた。
そうする、とこのような結果になった。
そうして最終的に、このような気づきが生まれた。

という感じで「経営指導の心得」の長さと大体同じくらいの長さの文章にまとめてくれればよい。
そして、そうして生まれる文章こそが、お前の本当の財産なのだと気づいてほしい。

重要な点はここだ

こちらが送っていることは古い知見に過ぎない。
それに命を与えるのは、お前の体験なのだ。なんでも怖がらずに経験してみなさい。
そして、沢山失敗をしなさい。沢山恥をかきなさい。そうやって、行動できる自分を喜びなさい。

肉体を得ていることを感じ、すべての体験から教訓を得、それを分かち合い、喜びとしなさい。
成功談は、人を萎縮させるが、失敗談は、人に勇気を与える。どちらもかけがえのない経験だから大切にしなさい。

少し、力が入り過ぎて伝わりづらかったかもしれんが、重要な点はここだ。
新しい情報が入ったことで、行動にどのような変化を起こしたかという点だ。

よくあるのが、頭に入ったことで理解したとするということだが、そこにとどまるのではなく、そのことをもとに行動に変化を起こし、その変化を体験するという点だ。この点を非常に強調しておきたい。

誰かに体験させるのではなく、己が身をもって自ら体験することが、なにをおいても重要なことなのだ。

言い換えれば、習得ではなく体得するということだ。

習得レベルで指導を行うものがあるが、必ずその指導は行き詰まることになる。
しかし、体得できたことをもとに指導するときには、不思議とその内容が、指導を受けているものの中に素直に入っていくものなのだ。

この違いに気がつければ、世の中の講師や指導者という肩書に惑わされず、本物に出会うことができる。そして自らも本物に近づくことができる。

つまり、七割五分の体得をもって、教え伝える権利があるとするところに、厳しさはあるものの前途洋々な未来が待っている。

逆にそれに満たない他得率や、習得にとどまる経験では、指導する際に、度々行き詰まりを感じ、充実感よりも、苦痛を感じるようになってしまうのだ。わかるか。

お前には、前途洋々な未来を描いてほしい。慌てずにな。焦らず。
失敗でも、成功でも、自らの経験こそを宝として、素直な心で進んでいってほしい。(この項目は以上)