楽をして儲けたいという思いに応えるような経営指導はうまくいかない。

経営というのは人間性を高める一つの手段であって、金儲けは副産物的要素と考えなかれば、経営指導はままならない。

経営というのは、全人的なものであって、儲けたいなどという個人的欲望を重視すれば、必ず痛い目に合う。

経営指導を行う際も、楽をしたいと思ったら、やめたほうがいい。
効率化を図ることと、怠けることは全く違うことと常に肝に銘じておくことだ。

楽な仕事などどこにもない

人間が行うべき仕事に楽な仕事など、どこにもないことに早く気がつくべきなのだ。
いや仕事だけではない、楽な人生などというものは存在しない。

経営指導を行うことは、自らが経営することよりも楽そうに見える場合もある。
指導経験が浅いのであれば、そう思うのも無理はない。

しかし、ある程度経験してみたら、これほど難しいことはないと気が付くことだろう。
まあ、なんでも傍から見るのとやってみるのとでは大違いということだ。

経営指導というものを職業にしているものでも様々なレベルがあるから、いろいろなやり方があることは承知している。
ここで言いたいことは、一流の経営指導を行うならばという前提がつくことになる。

人をだまして金儲けしようと思うようなものもおるし、そこまで悪徳ではないものの、楽して儲けたいと考えるものは後をたたない。
そのような人間の弱さにつけ込むように指南役を買って出るものもいるのは重々承知している。

人間の弱い部分につけ込むような態度では、なぜいけないのか、このあたりを十分に考える必要がある。

誰でも苦労より楽をしたい。
働かないで食っていけるなら働かないという人間もおるだろう。
しかし、それでは動物となんらかわりがないことになる。

人間のエゴ性を満たすだけでは十分ではない。
自己成長のために働いているという観点を忘れてはならない。

経営というのは人間性を高める一つの手段

冒頭に結論を書いたが、経営にしても、経営指導にしても、自らの人間性を高める行為であるという視点を忘れたら、何でもありになってしまう。

ルールを守ることも大事だし、人を傷つけない配慮も必要だと考えれば考えるほど、事業経営というのは難しくなってくる。

簡単な例でいえば、社員を奴隷扱いすれば管理者は楽できるが、社員の人権を大切にしようとすればするほど、利益を出すのは難しくなってくる。

つまり、物事は極めれば極めるほど高度な課題が出現してくるものだ。
しかし、その高度な課題に真摯に取り組むことで人間性が高まり、本当の意味で利益を出しても許される人間や組織に成長していくのだ。

言い換えれば、経営指導というのは、利益を上げることではなく、利益をあげてもいい人間づくり、組織づくりに貢献するということなのだ。
このことを肝に銘じる必要がある。

人間を高めずに、逆に堕落させながら利益をあげればどうなるかは言うまでもないことだ、と言いたいところだが、言わなければわからないというのが人間というもの。

言わずにわかってもらえるなら、詐欺も、悪徳経営も自然になくなるだろうが、言わなければわからないものが多いのが現実だ。

経営指導を行うものは、悟っていなければならない

人間性を高めず利益だけを追求すれば、必ず痛いしっぺ返しを喰らうことになるのだ。
そのしっぺ返しは、お客から返ってくるとは限らない。
社員からかもしれないし、家族からかもしれないし、それ以外のところから返ってくるかもしれない。

返ってきて素直に猛省する心があればよいが、なかなかそうはいかない。
逆恨みをしたり、訴訟を起こしたり、なかなか自分自身を省みないのが人間の特性の一つでもあるのだ。

だから指導者が必要なのだ。
現象の源をたどり、素直な心で改善する心を持つように指導するものがいないと、なかなか気が付けないのが人間というものだ。

経営指導を行うものは、気づかせ屋みたいなものだから、まず、自分自身が気付いていなければならない。
言い換えれば悟っていなければならない。

つまり、一流の経営指導と行うものは、悟りの境地に立たなければならない。
いや、どの職業でも一流とはそういうことだ。
その職業の道を通して、悟りに近づこうとする意識のあるものが、その道の一流といえる。

そのような道を究めることを、苦労と思うか、楽しいと思うかで人生という場は、天国にも地獄にもなる。

金持ちか貧乏かと気にする前に、自分は天国に暮らしているのか、地獄に暮らしているのかと自問自答してみることだ。

多くの人間は、そのはざまに居る。
そのはざまから、どちらに向かうかは、それぞれの心がけ次第だろう。

経営指導を行うものが間違えば、経営者を天国にいざなうのではなく、地獄にいざなうということも起こりうる。

常に、自分に向き合い自問自答することだ。近道など探さずにな。
まっすぐ、まっすぐ。
道は曲がりくねろうとも、心はまっすぐ、常に自分と向き合うことだ。
(この項目は以上)