世間の常識などというものはいいかげんなもの、あまり振り回されないほうがいい。
ただ、その常識を大切に生きている人間を軽んじてはならない。
誰でも大切にしていることがある。

自分が重要と思うことを軽んじる人間もいる。それはそれでいいのだ。

競い合うことは、経営においてはさほど重要ではない。

要は自分と他人を比較して競い合うことなど、経営においては、さほど重要なことではない。

よく会社経営を他社との競争のようにとらえるものもおるが、そのような解釈のほうが事業を進めやすく感じる段階もあるので否定はしない。
それはそれでよしとしよう。

しかし、その考えのまま続けることができるのは、それほど長くはない。

まあ、運動でもなんでもそうだが、比較して競い合うというのは面白いものだが、非常に疲れるものだ。

どんなことでも疲れ果てたら、それをやめたくなるのも無理はない。
長く続けるには、どこかで違うモチベーションに変えていく必要が出てくるというわけだ。

事業を行う動機も、人間の価値観も変化が起きて当然

このように事業を行う動機にも変化が起きて当然だし、人間の価値観などというものは、成長とともに変わって当たり前ということだ。

常識というのは、個々の価値観の集合体みたいなもので、時代と共に変化していく。

現代は飛行機が空を飛ぶこと当たり前に思っているが、昔の人に言わせれば、あんな鉄の塊が人を乗せて空を飛ぶなどとんでもない話だろう。

常識というのは、時代の変化によって変わるし、場所によっても変わる。

常識というのはそのようなものだと考えておけば、世間の常識に振り回されることもなくなくなるし、自分の常識で人を振り回すこともなくなる。

人間は常識を変化させることが苦手

「常識にとらわれるな」というと世間の常識に自分がとらわれないようにする、という側面だけを意識するものがほとんどだが、自分の常識を人に押し付けるなど、自分の中の常識にとらわれていることを問題としない場合が多い。

じつは、この方が厄介な問題を引き起こすのだ。

人間というのは、どこかで「これぐらい常識だろう」という基準を持っている。
その基準は、生まれ育った家族、地域、学校、所属している組織の中で養われてきた。

だから、それは、その組織の中で、その時の社会を、円滑に生きるために学んだ基準だということを忘れてはならない。

つまり、所属組織が変わったり、場所が変わったり、時間が経ったりしたら、その基準を見直す必要があるのだ。

しかし、人間というものは、この自分の中の基準、つまり自分の中に出来上がった常識を変化させることが苦手なのだということを、しっかりと肝に銘じておかなければならない。

相手の中の常識を見極め、自分の中の常識を客観的に見る

このことを、意識していない指導者は、自分の常識を相手に押し付け、相手を自分の常識という物差しの範囲で管理しようとしているに過ぎない。

だから結局、長い目で見るとうまくいかない。
一時的に、うまくいっているように見えても、人は押し付けられらものには必ず反発する。

その反発のタイミングが早い人間と、遅い人間がいるだけで、いつかは反発を食らう。
反発の仕方も人それぞれで、裁判沙汰になるケースもあれば、表向きは指導に従っているような顔をして、影で悪態をついているものも少なくない。

そんなことになっても、経営指導を行うものは、相手のせいにしてはいけない。

相手の中の常識を見極め、自分の中の常識を客観的に見ることができなかった未熟さを反省すべきなのだ。
そうとらえることができれば必ず成長する。(この項目は以上)