よく失敗をすると落ち込んだり、嘆いたりする者があるが、失敗というものは、成長に欠かせない節目のようなものだ。

そこであきらめなければ、それは貴重な経験として蓄積される。

経営指導は、失敗を遅くして対策をあらかじめ用意し、いざ失敗したら「よい経験をしたな」と喜ぶぐらいの度量がないと務まらない。

人間は失敗して痛い目をみないと学ばないものだからな。

失敗を恐れていると、その恐れが失敗を拡大してしまう。

失敗を避けようとすればするほど、失敗したときのダメージは大きい。
それは、失敗を恐れる心がつくり出した幻想に支配されているからだ。

失敗を恐れていると、その恐れが失敗を拡大してしまうのだ。

例えば、蕎麦屋を始めるとする。
主人は、蕎麦は好きだが、人間が怖いときた。

そばを打つのは楽しくて、楽しくて、朝早く起きて仕込みを始める。
しかし、開店近くなると胃が痛くなってくる。

「いやな客がきたら」「変な客に対応を間違えて怒られたらどうしよう」挙げ句の果てに「ありもしない因縁を吹っかけられて、代金を踏み倒されたらどうしよう」などと、ありとあらゆる客とのトラブルを想定し暗い顔になる。

そんなことが起こる前に、考えてばかりいるもんだから、顔が暗くなる。
商売人が暗い顔をしたら結果は大体決まっている。

陰気で因縁をつける客が集まってきて、文句をつけられる。
トラブルが起きるたびに、「商売に向いていないから店を閉めるか」という考えが頭をよぎる。

大事なことは、失敗を認めること。

ここで大事なのは、失敗を認めることなのだ。
「トラブルが起きたのは偶然だ」とか「たまたま、来た客が悪かった」とか失敗を認めないからだんだん大ごとになる。

大切なのは、失敗を恐れる心じゃなくて、失敗を認める心なのだ。

トラブルが起きた時点で、自分が失敗したなと思ったら、改善できるのに「悪いのは客だ」とか「運が悪かった」などと、自分を正当化するから、自分が失敗したことにならない。

自分が失敗したと思わなければ改善のしようもないから当然のことだ。
小さい失敗を認めないと、大きな失敗がやってきてしまう。

自分の間違いを認めるしかなくなるような大きな失敗がやってくると、それを乗り越えるのはかなり大変なことだから、また自分を正当化しようとしてしまう。
悪循環というやつだ。

大切なのは失敗しないことじゃなくて、失敗から学んで、成長すること。

経営指導を行うときに大切なのは、小さな失敗を見逃さずに、ちゃんと学びに変えるという姿勢だ。

指導者も人間だから日々失敗をする。
しかし、ちょっとの失敗で気が付けるようになったら、それはすごいことなんだよ。
それ以上は大きくならないんだから。

そのうち、失敗が起こる前の、失敗の種に気がつけるようになってくる。
これは失敗を隠すこととは違う。

普通の人は、ある程度大きくならないと気が付かないものを、小さいうちに気が付く、または、現象が起こる前に気が付く能力が高まってくるということなんだ。

これが経営指導を行う者には大切な能力になってくる。

ただ難しいのは、失敗というのは学びのきっかけだから、全部それを取り除いたら、学びを取り除くことになるということだ。

時には「このままだと失敗しそうだけど、ここは見守るだけにしよう」と一歩引いて観察できるような態度も重要になってくる。

これは本当に難しいことだ。

大切なのは失敗しないことじゃなくて、失敗から学んで、失敗した時よりも成長するということだ。

指導者が過保護になると、失敗という学ぶ機会を奪うことになる。
成長なき成功っていうのが本当は怖いもんなんだよ。

成長と成功がともに丈を伸ばすことが大事なんだ。(この項目は以上)