一人社長は気ままでいいなどというものもいるが、社員がいようがいまいが、一人では何もできない。
必ず、仕入れ先があり、お届け先がある。
広く言えば、道路を使わせてもらうのだって人様の世話になっている。
電話をかけるのも人様の世話になっている。
一人で商売をするから気楽だなどと考えていると必ず痛い目に合う。
色々な人のおかげで商いができることをまず身をもって己に叩き込んで、そのあり方を経営指導に行き渡らせなばならぬ。
相手が一人の人間であることを忘れてはならい。
経営指導を行う際、相手が大会社の社長でも個人事業主でも、一人の人間であることを忘れてはならない。
当然、指導を行う者も一人の人間である。
この一人の人間同士が、対話をしながら現状を把握し、未来の展望について話し合う。
経営者も一人で判断がつかないことがあるから、相談できる人間を探している。
1000人いる会社の社長だって、相談できる人間は何人いるかわからない。
いや腹を割って話せる人間が、なかなかいないからこそ、外部に意見を求めていくのである。
経営者として器を広げる大きなチャンス
もし仮に「私は、自分のやり方があるから人には相談しない」という経営者がいたら、経営指導というものを求めていない段階だから、自分の思うようにやればいいと思う。
しかし、必ず一人では判断がつきかねる事態に陥ることがある。
そんな時、やはり、先人の知恵とか、専門家の知恵とか、経験者に意見を求めるものだ。
この時こそが、経営者として器を広げる大きなチャンスというわけだ。
自分一人の考えだけでは、うまくいかないと気が付いた時、人は知恵を借りようとする。
人の知恵を借りるわけだから、傲慢な態度が正されていく。
自然と謙虚な姿勢が身についてくる。
傲慢な態度では、人の助言などはいるわけもないから、至極当然な流れなのだ。
この時、経営指導を受ける態度というものが経営者のほうに出来上がってくる。
経営指導を行う側の態度とは
では、経営指導を行う側は、どんな態度で受け止めれば良いであろうか。
ここが肝心なところである。
程度の低いものはここで、勘違いをして「私がそのピンチを救ってあげましょう」とばかりに、しゃしゃり出て、自分の意見や思いつきを得意げに語り出す。
それがうまく当たればラッキーというぐらいのもので、そんなラッキーパンチは何度も続かない。
このような態度で経営指導を行うものは、だいたい自分が経営の本質を掴んでいない。
もし、経営の本質をつかんでいるなら、相手やその周囲の人間、事業の歴史等に敬意を払うため安易に意見を言うのは慎むものだ。
きちんと、その相手の背後にいる人間のことを想像する力が養われている指導者は、自然とその人の周囲に及んでいる会社の力動性を考慮に入れる。
一人で生きている人間など誰一人としていない
簡単に言えば、経営者というものは、一人で今があるということではないということだ。
また、経営指導を行う人間も同じ、一人で今があるということはありえない。
必ず、自分を取り囲む周囲の全体の力動性の中で存在している。
つまり、一対一の人間の対話の奥には、多くの人間の想いや意図、感情などが渦巻いているということを忘れてはならないということだ。
当たり前だが、一人で生きている人間など誰一人としていないわけである。
このことを忘れた指導は、木を見て森を見ず、大局を見失っている。
よって、現状に良き変化を起こすことはできないとなってしまうわけだ。(この項目は以上)