経営指導を行うということは、経営というものを理解していなければならない。
それはただ学問上の理解ではなく、実体験の上、理解する必要がある。
経営指導するのは、良いことだが自分自身もまた、良き経営者でなければならない。

良き経営者の条件

では、良き経営者とはどんな経営者なのかを簡単に説明する。

「収支を合わせる」ということ

まずは「収支を合わせる」ことができるということだ。

当たり前のことだが、赤字を出すようではいけない。
しかし、儲けすぎるのはもっと良くない。

どちらもどこかに問題があることを意味している。

赤字になることは仕方がない場合がある。
事業を始めたばかりのときや、自分ではどうしようもない不景気という時期もある。

このようなときは、一時的に赤字を耐えて機を待つ必要がある。
これは経営者を鍛える試練でもある。

それに比べて儲けすぎることを問題と思わない経営者が実に多い。
このようなものにこそ、経営指導が必要になってくる。

儲けすぎるということは自然の摂理に反していることだから、
そこに気がつくように指導することが大切である。

「周囲が喜んでいる」ということ

次に、良き経営者として大切なことは「周囲が喜んでいる」ということだ。

周囲というのは、客ばかりではない、取引先も、家族も、周囲が喜んでいるということは、経営者として非常に大切な状況判断である。
もし、誰かが犠牲になっていたりしたら、それを改めねばならない。

よくあるのが、経営者や客が喜んでいるが、社員や取引先、家族が泣いている場合だ。
決して、そのような経営者を立派だと崇めてはいけない。

お客を喜ばせるために、社員が泣いているのであれば、その社員の我慢が報われる経営をしなければならない。
当然、家族を我慢させるようなことがあれば、いつかは歪が表面化してしまうものだ。

歪が表面化する前に気が付けるのが、良き経営者であり、経営指導者でもある。

「自分の生き甲斐としてその仕事をする」ということ

最後に、いちばん大切なことを伝える。

「自分の生き甲斐としてその仕事をする」ということである。

自分自身がやりがいを感じていなければ、どんな能力があっても続くはずがない。
要は、嫌気が差してくるというわけだ。

世の中には、有能なものがたくさんおる。
しかし、事業を存続させることができるものは極めて少ない。

難しい理屈ではない。
経営者自身、嫌気が差しておるのじゃ。
嫌気が差している経営者の下で働くことほど、苦痛なことはない。

簡単に言ってしまえば、やる気が無いわけだから、これはどうしようもない。

逆に、たいして秀でた才能がなくても、良い経営者と呼べる人間に共通していることは、
その仕事を、自分の生き甲斐として、やりがいを持って、取り組んでいるという点である。

そして、その自分の中に灯した炎を消さない努力を怠らないということである。

どんな事業も続けてこそ見えてくる面白みあるものだ。
この面白みを見つけられるか、単に慣れて、飽きて、嫌気がさすか。
ここに大きな分岐点があることを自覚することが重要だ。

良き経営者としての条件は、色々あるが、
才能や特技、人柄などが、さほど重要ではないことはわかってもらえればと思う。

簡単に言えば、自分の生き甲斐として仕事をとらえ、
周囲に喜びを与え、収支を合わせる事ができれば、経営者として、やっていけるという事だ。

他のどんな事が優れていようとも、すでに嫌気が差した仕事を、自分も他人も喜ばせる事なく行い、
収支がでたらめであれば、上手くはいかないという事だ。

経営指導を行うものも同じ、その仕事を自分の生きがいとして、
周囲を喜ばせ、収支を合わせることを心がけてやって欲しい。

この項目は以上。